やる人は たった一人でも、やる。

やる人は たった一人でも、やる。
それ 一人でも やる?

何気に一人では立てない不安で、安心したいがためだけの仲間作りや 自分の心の穴を埋めるための居場所つくり、もしくは自分を自分以上に見せたいがための何らかの所属、こういう行動ほど 平凡なものはない

やるひとは たった一人でもやるし なに言われても、やる。だから熱がある。
自分の頭で考えて、自分の責任で、自分の身体で行動しているものです。だから非凡と成り、事をなしていくのでしょう

例えば私の場合 決断の多くは 100人中99人がやらないほうを選び、その道を進むので常につるむという事はありません。
所属して媚びるということもなければ いやな誘いにつきあうこともないのです

そうしていると孤独ではないですか?
という怖さを皆さんは感じることでしょう。

ええ、ある意味 孤独を愛するような精神がなければ、物事の判断は「まとも」につかなくなるのです。

ただ 想像される以上にだからこそ真の出会いが訪れ
匂いでわかり、引き合うという強さは、人数ではなく質高き求めていたものが集まるようになる。非常に建設的な出逢いになるわけです。

それ 一人でもやる?

これ毎日問うてみたらいかがでしょうか。
誰かがやれといったからやる、皆がやめるからやめる。
誰も動かないから動かない。
私からすれば すべて平凡です

なぜこういう問いかけをするのか 私の仕事視点からいうとね
結局服は その人の思考からくるルーティン、行動パターン表現以上のものは着せられないからです。
平凡な動き 人の影響からしか生きれない人は
個性は発揮出来ず 感性も低め 自由表現へは程遠いものとなってしまうからです。

だから 似たような服装で似たような印象でしかない自分のことを客観視することができず

誰でも煌びやかになるロングドレスでごまかすことは出来ても
Tシャツとジーンズだけでも なぜか人とは違う
格好いい佇まいを得ることは 一生できないのです

今 働き方改革含めファッションレスキューが主催している母体会社、学校、新サービス、新アカデミアなど改めて軸に立ち返り、考えを整理して立たせ、それに賛同する人との出逢いを創り上げている最中ね

研ぎ澄ませれば常にリスクは伴うが リスクを負えばおうほど強力な賛同者が現れる。
恐ろしく魅力的な事業が発表できそうだ

やるときはやる ひとりでもやる
そういう人間たちが集まれば百人力でありほかにはない魅力が
多くの人に伝わるだろう。

誰とでも繋がれる世の中だからこそ 自分がない人は要注意。その団体、その集まり、その見え方、あなたの本質が返ってぶれて見える事、大いにありますよ。